- 加賀神明宮
-
- 加賀神明宮は昭和34年の改称以前は山下神社と称し、江戸時代には神明宮と称していました。旧縣社で祭神は天照大神です。現拝殿は1824年再建の棟札があり、南の山上には白山宮が鎮座しています。「天保由緒書」には神明宮、白山宮は往古より大聖寺惣鎮守で神明宮はもと…
- Loading...
- more
- 首洗池
-
- 寿永2年(1183)、倶利伽羅の戦いで敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の古戦場にある小さな池です。 この戦いに老武者 斎藤実盛は手塚太郎光盛の呼びかけに応じて切りあい、とうとう討ちとられました。 しかし名を名乗らなかったので誰の首かわかりませ…
- Loading...
- more
- 安宅の関跡
-
- 源頼朝の追手を逃れ、奥州に落ちのびる途上の義経一行が、弁慶の機転と関守富樫氏の温情で無事通ることができたという「勧進帳」の名舞台。これをテーマにした「『安宅の関』こまつ勧進帳の里」が併設されています。難関突破のお守りがある安宅住吉神社では、歌川国芳…
- Loading...
- more
- ひがし茶屋街
-
- 藩政時代の情緒が色濃く残るひがし茶屋街。石畳の道の両側に紅殻格子のお茶屋が軒を連ねます。お茶屋は一見さんお断りですが、内部を公開しているものや、茶屋の造りをそのまま利用した雅な和風喫茶などで中の様子を見ることができまほかにもあぶらとり紙や友禅小物な…
- Loading...
- more
- 長者屋敷跡
-
- 片野海岸の西南端に大きな凝灰岩が多く残り、奇岩怪石が群れをなしています。 いつごろ、どんな長者が住んでいたのか明らかではなく、考古学的には、奈良時代のものと考えられる土師器(はじき)や須恵器(すえき)の破片を見ることができるので住居跡ではないか…
- Loading...
- more
- 医王寺
-
- 「忘れしゃんすな 山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師」と山中節に唄われるように温泉街を見下す高台に建つ真言宗の古刹です。 山中温泉を開湯した行基の創建と伝えられ、温泉の守護寺として親しまれています。 展示室には、山中温泉縁起絵巻や芭蕉の忘れ杖も収…
- Loading...
- more
- 吉崎御坊 蓮如上人記念館
-
- 吉崎御坊蓮如上人記念館は、浄土真宗開立の祖である蓮如上人を偲び、上人ゆかりの地である越前吉崎に、平成10年に建立されました。当館は、蓮如上人御真筆名号を日本一所蔵する博物館です。シアタールームでの映像紹介や語り部による解説を行っており、上人の御教え、…
- Loading...
- more
- 蘇梁館
-
- 蘇梁館は、NPO法人加賀国際交流会たぶんかネット加賀が管理しております。 江戸末期から明治期にかけて活躍した北前船の中でも、大きな勢力をほこっていた久保彦兵衛家の主屋が移築復元され、梁を蘇らせたことで蘇梁館の名が付けられました。 見学は無料…
- Loading...
- more
- 法皇山横穴古墳
-
- 勅使町の南端、横北町の方向から流れてきた動橋川のそばにあり、花山法皇のゆかりの地と伝えられています。 横穴古墳自体は、6世紀後半から7世紀末に築かれたものです。この山は凝岩石質の山地であり、横穴はこの自然の石質をうまく利用して造られ、総数は80基に…
- Loading...
- more
- 大聖寺 鴻玉荘
-
- 『大聖寺 鴻玉荘』は 旧 新家家邸宅で市の有形文化財に指定されています。主屋では大聖寺の歴史資料なども展示しています。 土日のみ一般公開致します。大聖寺散策の際には山ノ下寺院群からもう少し足を延ばしてぜひ立ち寄ってみてください。※注 305号線沿い主屋側 …
- Loading...
- more
- 加賀海岸自然遊歩道
-
- 加佐の岬から日本海を望み、ゆるやかなカーブと上り下りのある自然遊歩道が約4キロ、黒崎海岸を経て、片野海岸へと続いています。海岸沿いには悲話を秘めた「お夏のがん洞」、黒崎海岸「八幡浜(はちまんば)」などの史跡もあります。千変万化の美しい自然のままの砂…
- Loading...
- more
- 芸妓検番「花館」
-
- 片山津温泉街の中心にあるべんがら格子の芸妓検番は、大正9年に芸妓の練習の場として建てられた建物です。 源泉を使った「豆腐づくり体験」や、源泉と柴山潟の湖底土を使った「晶子染め体験」ができます。※「豆腐作り」体験は当面休止。
- Loading...
- more
- 江沼神社 長流亭
-
- 大聖寺藩主の休息所として宝永6年(1709)に上棟、藩邸の庭園の一隅に大聖寺川を臨むように建築された遠州好みといわれる亭舎です。当初は「川端御亭」と呼ばれていたが後に利直の雅名からとって「長流亭」と称されました。昭和25年文化財保護法の施行により重要文化…
- Loading...
- more
- 鹿島の森
-
- 北側は大聖寺川河口に、南西側は福井県の北潟湖に臨む陸地続きの小島です。 標高30m、周囲600mで総面積は約3ha。南北に長く円阜状をなしたほぼ楕円形の樹叢です。 古くは天台宗の霊場として、また江戸時代は大聖寺初代藩主前田利治が萬宝院と称する法華宗の道場…
- Loading...
- more
- 加賀橋立 北前船主集落
-
- この加賀橋立は、近世前半までは茅葺民家が建ち並ぶ半農半漁の集落であったようです。 18世紀半ばから北前船の船主となる者があらわれ、寛政8年(1796)には船主34名と船頭8名が確認でき、次第に北前船にかかわる人が居住する集落へと発展しました。 明治5年(1872)…
- Loading...
- more
- にし茶屋街
-
- 藩政時代からの歴史を持つにし茶屋街。茶屋街で育った『地上』で知られる島田清次郎を記念した金沢市西茶屋資料館もあり、こちらも必見です。往時のたたずまいを残す西検番事務所は今は芸妓さんの稽古場として使われていて、三味線や笛の音色が響いてきます。画像提供…
- Loading...
- more
- 丸岡城
-
- 天保4年(1576年)に、柴田勝豊が築城した平山城で、外観は二層、内部は三階の望楼型天守閣は日本最古とされ、国の重要文化財になっています。急な石段を登って天守閣に入ると、そこには、梯子のような階段が楼上に続いています。補助のロープを伝いながら3階まで上ると…
- Loading...
- more
- 大聖寺城址(錦城山)
-
- 大聖寺市街地の西端、通称錦城山にある城跡で、藩政期には古城山といわれています。南北朝時代の『太平記』が初見で、その頃の城跡は錦城山背後の津葉城であったといわれています。以後度々合戦の舞台となりましたが、この地が水陸交通の要衝であり越前国境にも近く、…
- Loading...
- more
- 芭蕉堂
-
- 鶴仙渓遊歩道の黒谷橋のたもと、木々の緑をバックに、俳聖芭蕉を祀った御堂が大聖寺川の渓流に面し建っています。北国行脚の折りに立ち寄り、名湯ぶりを讃えたことに由来します。 堂内には芭蕉の小像が安置されています。
- Loading...
- more
- 加賀東谷 山村集落
-
- 加賀市の東南の山間部に位置し、大日山を源とする動橋(いぶりはし)川と杉ノ水川の上流域に点在する荒谷(あらたに)町、今立(いまだち)町、大土(おおづち)町、杉水(すぎのみず)町の4集落からなる。さまざまな理由から現在は過疎化が進んでいるが、平成23年11…
- Loading...
- more