- 狐山古墳

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- 二子塚町北方の水田の中にあり、5世紀後半に築かれました。全長は約56メートルで、加賀市内では唯一、平野部にある前方後円墳です。 昭和7年国指定史跡に指定されました。昭和7年、動橋川改修工事のための土取りの中に、後円部から凝灰岩製箱式石棺が発見され、上田三…
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- 長者屋敷跡

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- 片野海岸の西南端に大きな凝灰岩が多く残り、奇岩怪石が群れをなしています。 いつごろ、どんな長者が住んでいたのか明らかではなく、考古学的には、奈良時代のものと考えられる土師器(はじき)や須恵器(すえき)の破片を見ることができるので住居跡ではないか…
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- 浮御堂

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- 霊峰白山を望み、天候により7回も湖面の色を変えるという柴山潟。そこに浮かぶように建てられた浮御堂は、「うきうき弁天」という愛称もあります。温泉伝説の竜神様と弁財天様が祀られており、現在の片山津温泉へと発展したことへの人々の感謝の証として建てられまし…
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- 首洗池

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- 寿永2年(1183)、倶利伽羅の戦いで敗走した平家軍と木曽義仲の軍が戦った源平の古戦場にある小さな池です。 この戦いに老武者 斎藤実盛は手塚太郎光盛の呼びかけに応じて切りあい、とうとう討ちとられました。 しかし名を名乗らなかったので誰の首かわかりませ…
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- 北前船主屋敷 蔵六園

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- 国登録重要有形文化財。 江戸時代より日本海を雄飛した旧北前船船主酒谷家の屋敷です。 藩主専用の間や母屋、土蔵、庭園に至るまで、往事の姿がほぼ完全な形で残っています。総漆塗りの座敷に座って、北前船華やかなりし時代に思いをはせて下さい。 アンティークショ…
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- 大聖寺 山ノ下寺院群

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- 大聖寺には隣の越前との国境付近であったところに、大聖寺藩が意識的に寺社を集めたと言われる場所があります。 山ノ下寺院群(やまのしたじいんぐん)と呼ばれ、7寺院、1神社が並んでいます。 浄土真宗の寺は城下の町中に、曹洞宗、日蓮宗、法華宗、浄土宗の寺はこの…
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- 兼六園

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- 兼六園は、江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園の特徴をそのまま今に残す庭園であり、延宝4年(1676)5代藩主綱紀によって作庭が始められ、万延元年(1860)頃13代藩主斉泰の時に現在の形となりました。 約11.4haもの広さを持つ庭園には、徽軫灯籠、雁行橋、霞ヶ池…
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- 一乗谷朝倉氏遺跡

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- 福井市の南東にある一乗谷にある朝倉氏遺跡は、戦国時代 約103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡です。武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の重要文化財・特別史跡・特別名勝に指定されています。
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- 法皇山横穴古墳

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- 勅使町の南端、横北町の方向から流れてきた動橋川のそばにあり、花山法皇のゆかりの地と伝えられています。 横穴古墳自体は、6世紀後半から7世紀末に築かれたものです。この山は凝岩石質の山地であり、横穴はこの自然の石質をうまく利用して造られ、総数は80基に…
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- にし茶屋街

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- 藩政時代からの歴史を持つにし茶屋街。茶屋街で育った『地上』で知られる島田清次郎を記念した金沢市西茶屋資料館もあり、こちらも必見です。往時のたたずまいを残す西検番事務所は今は芸妓さんの稽古場として使われていて、三味線や笛の音色が響いてきます。画像提供…
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- 大聖寺 鴻玉荘

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- 『大聖寺 鴻玉荘』は 旧 新家家邸宅で市の有形文化財に指定されています。主屋では大聖寺の歴史資料なども展示しています。 土日のみ一般公開致します。大聖寺散策の際には山ノ下寺院群からもう少し足を延ばしてぜひ立ち寄ってみてください。※注 305号線沿い主屋側 …
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- 長町武家屋敷跡界隈

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- 藩政時代は藩士の屋敷が並び、今なお城下町のたたずまいを色濃く残す一角。T字やL字形に入り組んだ路地は城下町特有のもので、武家屋敷の土門や門構えは400年の時を止めたままである。用水が流れる静かな町並みは繁華街のすぐ裏手にあるのが信じられないほど。町…
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- 医王寺

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- 「忘れしゃんすな 山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師」と山中節に唄われるように温泉街を見下す高台に建つ真言宗の古刹です。 山中温泉を開湯した行基の創建と伝えられ、温泉の守護寺として親しまれています。 展示室には、山中温泉縁起絵巻や芭蕉の忘れ杖も収…
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- 大聖寺城址(錦城山)

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- 大聖寺市街地の西端、通称錦城山にある城跡で、藩政期には古城山といわれています。南北朝時代の『太平記』が初見で、その頃の城跡は錦城山背後の津葉城であったといわれています。以後度々合戦の舞台となりましたが、この地が水陸交通の要衝であり越前国境にも近く、…
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- 蘇梁館

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- 蘇梁館は、NPO法人加賀国際交流会たぶんかネット加賀が管理しております。 江戸末期から明治期にかけて活躍した北前船の中でも、大きな勢力をほこっていた久保彦兵衛家の主屋が移築復元され、梁を蘇らせたことで蘇梁館の名が付けられました。 見学は無料…
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- 芸妓検番「花館」

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- 片山津温泉街の中心にあるべんがら格子の芸妓検番は、大正9年に芸妓の練習の場として建てられた建物です。 源泉を使った「豆腐づくり体験」や、源泉と柴山潟の湖底土を使った「晶子染め体験」ができます。※「豆腐作り」「水引き」「晶子染め体験」などの体験は当…
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- 鹿島の森

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- 北側は大聖寺川河口に、南西側は福井県の北潟湖に臨む陸地続きの小島です。 標高30m、周囲600mで総面積は約3ha。南北に長く円阜状をなしたほぼ楕円形の樹叢です。 古くは天台宗の霊場として、また江戸時代は大聖寺初代藩主前田利治が萬宝院と称する法華宗の道場…
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- 加賀橋立 北前船主集落

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- この加賀橋立は、近世前半までは茅葺民家が建ち並ぶ半農半漁の集落であったようです。 18世紀半ばから北前船の船主となる者があらわれ、寛政8年(1796)には船主34名と船頭8名が確認でき、次第に北前船にかかわる人が居住する集落へと発展しました。 明治5年(1872)…
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- 芭蕉堂

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- 鶴仙渓遊歩道の黒谷橋のたもと、木々の緑をバックに、俳聖芭蕉を祀った御堂が大聖寺川の渓流に面し建っています。北国行脚の折りに立ち寄り、名湯ぶりを讃えたことに由来します。 堂内には芭蕉の小像が安置されています。
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- 九谷磁器窯跡

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- 九谷磁器窯跡は山中温泉より大聖寺川に沿って約14kmさかのぼったところの山麓にあり、車で約20分のところにあります。 昭和45~46年の2ヶ年にわたって大々的な発掘調査が行なわれ、九谷窯跡の全容がほぼ明らかになりました。 九谷焼は江戸時代のはじめ、加賀国江…
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